023 與能神社から「心学の道」桜峠を臨む

京都まちなみ百景

023 與能神社から「心学の道」桜峠を臨む

祭神として事代主命・建御名方命・天照皇大神・天兒屋根命の四神を祀る。「諸国鎮座神秘抄」の写しによると、奈良時代の四道将軍丹波道主命が国家鎮護の為、祀った與能神宮寺が起源とされ、現御旅所を中心に曼茶羅堂・講堂等、寺区全域に伽藍を誇り皇室の崇敬篤く口丹波南部の中心として隆盛を極めたが鎌倉時代に兵火にあい焼失した。(礎石・石瓦が現存)。

現存する慶長八年(1603)の棟札によると、社殿が文応元年(1260)に建立され、慶長元年(1597年)に地震により倒壊し慶長八年に再建されたことがわかる。現在の本殿は正徳四年(1714)の棟札により改修されたものと考えられる。

京都府登録文化財で、文化財環境保全地区に指定されており、京都府の自然200選(植物の部)に社叢林として選定されている。

例祭は10月22日で古来「六華祭」と云う名で呼ばれ、六ヶ村の氏子を御輿がまわる輪番が廻り地蔵で決められる神仏習合の形が残っている祭りです。また「石田梅岩 心学の道のコース」となっており道路脇に石碑が建っています。

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